お知らせ

漫談家・習志野ごんべえの妄想

「軽トラの荷台にカワイイ小屋を載せて釣りに行けば、素泊まり代が節約できていいなあ」などとウスぼんやり考えていたところ、コロナ禍で、寄席やホールなどで興行がドンドンなくなってしまい、「じゃ外でやれば換気はバッチリだから、イケるんじゃないかな?小屋より先に、寄席を造ろう!」と思いつきました。 

◯場所が決まっている建物の寄席と違い、お客様のいるところ、要望のあるところにこっちから出かけられます!

◯軽トラが入って行けるところなら、どこでもステージになります!学校や商業施設、お祭りなど、イベントに「お笑いが欲しいなあ」という際はどうかお声かけください!

◯お笑いの興行は通常、複数の出演者が出ることがほとんどですので「この芸人がみたい」「落語が聞きたい」等ご要望がございましたら、出来る限り対応させていただきます。

◯マイク(ワイヤー付き)2本、ワイヤレスマイク2本用意しております。

◯漫談、マジック、腹話術、漫才等、立ちマイクスタンド一本。

落語用に座りマイクスタンドに座布団も用意しております。

◯CDプレイヤー2台装備。音源がCDならカラオケ使用できます。歌手の出演も可能です。

◯ギター漫談用にDI一台用意しております。増設も可能です。

お問い合わせはこちらへ:narashinogonbei.info@gmail.com


席亭・習志野ごんべえのプロフィール

2004年

10月 落語家・快楽亭ブラックに改作落語を持ち込んで弟子入り志願。

   当時、快楽亭ブラックは借金問題で落語立川流の除名が決まっていたため、入門を思いとどまるよう兄弟子に説得されるも入門してしまう。

12月 「快楽亭小ブラ」で初高座。


2005年

7月 東京都台東区のアパートに引っ越し、落語立川流を除名になった快楽亭ブラックが居候する。「内弟子」ならぬ「内師匠」状態に。そのまま快楽亭ブラックと共に落語立川流を離れる事となり、お別れの挨拶に立川流日暮里寄席の楽屋を訪ねるが、打ち上げの席の酒の勢いで桂文字助に引き取られることに。しかし快楽亭ブラックはアパートに居座り続ける。

8月 立川流日暮里寄席の打ち上げ後、桂文字助がアパートに殴り込み快楽亭ブラックを追い出す。

9月 「桂文字ら」に改名。

10月 桂文字助のお旦、築地場外市場「東源正久」にて働きながら前座修行を続ける。


2009年

6月 桂文字助からの度重なる暴力と恐喝により現金を取られ続けるが、桂文字助が実家にかける電話により母がノイローゼになったため、弟子をやめる。その後、「東源正久」も離れる。


2010年

東京演芸協会に入会、「習志野ごんべえ」の芸名で色物芸人の道を模索し始める。


2022年

10月 「軽トラ演芸場」を製作し、初公演を行う。